COLUMN

10-week series of morning Yoga 今に気付くこと*

February 27, 2018

 

with stillness|静けさとともに

 

 

6回目のmorning Yoga。

 

この一週間、感じること・話すこと・聞くことの多かった話題は「気付くこと」。

とくに、「今に気付く」ということについて幾度となく考えることが多かったんです。

 

 

私の中で「気付く」というプロセスを要素分解してみると、

⑴自分自身、もしくは、他人からの一言についてなんだか違和感を感じる

⑵それはなぜだろう?と考えてみる

⑶あ、そうだったんだ!というひらめき、いわゆるアハ!体験に行き着く、という流れ。

 

 

振り返ると、だいたい大きいアハ!体験ほど、⑴きっかけが他人からの言葉であるような。

自分のことって意外に自分では分からないものなのかもしれません。

自分に対して客観的な視点になるのは難しいですし、

他人の方が自分で気付かない自分の部分が見えているからかなっと思います。

 

 

ヨガでも「行動し続けること」をとても重視しています。

それは、「目の前の世界にこそ、今自分が向き合うべき答えがある」と考えるからです。

そして、行動することで、今に気付き、自分や世界のことを知っていく、純化していく、

というプロセスが加速していくのでしょう。

 

行動し続けること、新しい世界に飛び込むことは、簡単なことばかりではありませんが、

美しい海にわくわくしながら飛び込んでいくサーファーのように、

いつだって来た波にはひょいと飛び込んでみたいものです。

 

Namaste*

 

 

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“TAPAH SVADHYAYESVARA PRANIDHANANI KRIYA YOGAH.   

浄化を助けるものとして苦痛を受け入れること、霊的な書物を研究すること、

至高の存在に身を委ねることが、実行のヨーガである。”  by Swami Satchidananda

II-1

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・・・“タパス”ということばは“苦行”とか“禁欲”と訳されるのでよく誤解されるが、

実際はここでは別のものを意味している“タパス”とは“焼くこと”、あるいは“熱をつくり出すこと”である。

焼くとどんな物でも純化される。たとえば金は、焼けば焼くほど純度が増す。それは、火中に投じられるたびに、

不純物が取り除かれていく–

 

だがこの燃焼のプロセスは、心の不純物に対してはどのように働くのだろう?

それは、(楽に向かって流れるのが心の常であるが、逆に)われわれのもとに来る苦痛のすべてを受け入れる

ことによって(働くの)である。実のところ、もしわれわれが苦痛の浄化作用を知っているならば、

われわれはそれを受け入れることを幸いとする。そういう受容は、われわれの心を強く堅固にする。

それは、他者に苦しみを与えるのはたやすいが、投げ返さずにそれを受けとめるのは難しいことだからだ。

このような自己練磨は明らかに、自分の瞑想室で行われるものではなく、他者と関わり合う日常生活の中でしか

行われ得ない。

 

タパスは、自己を統御することでもある。通常、心というものは、馬車につながれた野性の馬のようなものである。

身体を馬車とみなそう。知性は御者である。心は手綱であり、馬は庶感覚である。<自己>すなわち真のあなたは、

乗客である。そこでもし馬を、手綱も御者もなしに走るに任せておくならば、乗客の旅の安全はおぼつかない。

だから感覚と感覚器官の統御は、はじめはしばしば苦痛をもたらすかのように感じられるが、結局は楽に終わるのだ–。

タパスがこのような観点から理解されるならば、われわれは苦痛を待ち望むようになるだろう。それをひき起こした

人々に対して、われわれの心を堅固にし、不純物を焼く機会を与えてくれたとして、感謝しさえするだろう

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インテグラル・ヨーガより

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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